人物福祉

手足のない中村久子さん!どんなお仕事をしていたのですか?

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見世物小屋で働いていた頃、子供たちに書いてあげていた文章がありました。 それは → 「なせばなる なさねばならぬ何ごとも ならぬは人のなさぬなりけり」 (意味) → できそうもないことでも、その気になってやり通せばできるものですよ~。 成果が得られないのは、その人の努力が足りないからですよ~。

前回、両手両足を切断した中村久子さん!母はどのような教育を施したの? というテーマでレポートを書かせて頂きました。

ここで、ちょっとしたエピソードをご紹介させていただきますm(_ _)m
中村久子さん(1897 - 1968)は道端で男性が物乞いをしている光景を目の当たりにします。実はその男性、片腕がなかったのです。

果たして久子さんはどんな行動に出たのでしょうか?
久子さんはお金を渡すと、「そのざまは何事か」と大きな声で叱ったそうです。手や足が無くても甘えずに生きろ!そんなメッセージだったのかもしれません。

両腕を失った中学生の女性がいました。
久子さん、「トイレや食事はどうされていますか?」
母親、   「私と彼女の娘が担当しています」というのです。

すると・・・

「今日から自分の事は自分でしなさい!」とおっしゃったそうです。 両手、両足を失い、自立した生き方をしていたからこそ、言葉に説得力が帯びています。 中村久子さんが訴えたかったことは、障がい者の方の自立なのかもしれません。

久子さんは19歳の時、見世物小屋という場所で働く事になりました。見世物小屋とは、日常生活では見る事の出来ない芸を見せる小屋で、例えば蛇を使った芸であったり、社会福祉が未熟だったころは、生きるすべとして障がい者が見世物になっている時代もありました。

ちなみに、1970年代頃から、「障がい者の方を見世物にするのはいかがなものか?」という風潮になり、人権の配慮から取締りの対象になりました。(現在、見世物小屋は花園神社(新宿区)などに見られます。)

興行を行う団体は、一座を組んで全国を駆け巡ります。芸のできる障がい者は、この一座と共に巡業する事で、生きる術としていたのです。 この中村久子さん。手と足がありませんでしたので、だるま娘という名前で芸を披露していました。

では、久子さんはどのような芸をしていたのでしょうか?


中村久子が書いた君が代です。

やはり、子供のころに考えつくした、「口を使って書き上げた文字」・「裁縫」・「編み物」などをお客さんに見せていたのです。

酔っ払いのお客さんからは、「そんなの芸じゃない」と言われる一方、久子さんの芸はウケがよかったので、連日大入りとなりました。 すると、「障がい者のくせに生意気だ」 と、嫉妬からくる仲間からのいじめなどもあったそうです。

 

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レース編み(画像は吾が徒然さんから引用)

手と足がない久子さん。生きていくには耐えなければなりません。
涙を流す日々の中、教養を身に着けるために書物などを読みふけっていたそうです。どん底に身を置き、人間性が高まっていく中、雑誌に手記を投稿すると、これが読者のココロをつかみ、久子さんの知名度が次第に上がっていきました。

ヘレン・ケラーに自分の作ったお人形を渡したのが41歳の時でした。身体障害者福祉法の制定に尽力した、盲人の岩橋武夫さん(ヘレン・ケラーを日本に呼んだ人)が仲介する形で実現する事になりました。 ヘレン・ケラーは、「私より不幸だけれど、私より偉大な人」と言わしめたとされています。

中村久子さん
「ヘレン・ケラーと出会って思ったことは、人間は体で生きるものではないという事をはっきり私は教えられました。私はただ、自分の心を見る事ができる人間になりたいと思いました。」

これが転機となり、だるま娘を卒業すると、今度は講演活動や慰問活動(不幸な境遇を見舞うこと)などを行います。 しかし、ここで心の歯車が狂いました。 講演会では、「人生に不可能はない」などと、自慢げに話していたのですが、このような発言をしている自分に嫌気がさしてしまったのです。

そんな時、親鸞が書いた歎異抄(たんにしょう)にたどり着きます。

親鸞さん
「人は知恵や努力・能力だけでは救われない。その無力さを知り、自然のあるがままの姿で身をゆだねた時、初めて人は救われるのだ。」

久子さんはハッとします。
「今まで逃げ場もなく、絶体絶命の中で生き抜いてきた自信。この自信こそが慢心の正体であり、自分の目を曇らせていたのだ」

こんな境地にたどり着くと、次第に感謝する気持ちが芽生えます。
自分の障害に対する感謝。育ててくれた見世物小屋の人たちに対する感謝。そして、母親に対して感謝しました。

母親に関しては、故郷である高山に悲母観音像を建てる事で感謝の気持ちを表しました。

中村久子さんの言葉です。
「泥は “悪” だとばかり思っていたが、そうではなかった。 泥があるおかげで、自分は蓮のように花開くことができたのだ」

自分の障害をマイナスではなく、
プラスとして考えられる境地に、たどり着くことができたのですね。

著者 出川 雄一(ツイッター)   障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。

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