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世界初!視覚障がい者の教育施設を作った杉山和一とはどんな人?

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2013年5月29日、江島杉山神社に行ってきました。

神社では、「杉山さんは本当にすげーよ。杉山和一さんの作った視覚障がい者の人が働ける仕組み!300年以上経った今でもしっかり続いているんだよ。自分もそんな仕組みを作るから、見守っていてくださいね☆」と境内で叫んでみました。隣にいた友達がびっくりしていました・・・



前回、視覚障がい者の方はどうして鍼(はり)や按摩(あんま)などで働く人が多いのだろうか? についてレポートを書かせていただきました。

江戸時代、杉山和一(すぎやま わいち) (1610? - 1694)という人物が、世界初となる視覚障がい者の教育施設、「杉山流鍼治導引稽古所」を立ち上げ、盲人達に生きる術を教えたのが、今日の視覚障がい者に影響を与えているとされています。

鍼治(しんじ)とは鍼(はり)で治療をすることです。
導引(どういん)とは按摩(あんま)で治療をすることです。

世界を見渡すと、職業的に自立している視覚障がい者は日本を含めそれほど多くはありません。それだけに、杉山さんの果たした偉業は大きいというわけです。

杉山さんは幼い頃、伝染病の影響で両目を失明してしまいます。
そこで、十代の後半に鍼術で名をあげていた検校の山瀬琢一という人物の弟子になり、技術を学ぶ事になったのです。 → 検校とは何ですか??

しかし、もの覚えが悪く、のろまだった杉山さん。
いくら教わっても腕が一向に上がりません。見込みがないと判断されると、とうとう破門をいい渡されてしまいます。(22歳)

杉山さんは考えます
「自分は目が不自由だし、なにをやってもうまくいかない・・・ そうか、僕は存在価値のない人間んだね゚゚・(>_<)・゚゚ 死ぬしかないのだろうか?」

しかし、考えを改め
「目が不自由な自分であっても、生きていくためには何かを極めなければいけないんだ!(o^-^) 」と思うのです。

そこで、盲目の守護神がいるとされる、江ノ島弁財天で断食祈願を行います。7日間の断食を行い、八日目の朝に下山するのですが・・・ ここで大きな転機が訪れます。

おっちょこちょいの杉山さんヽ(´―`)ノ
この日も石につまずいて、やっぱり転んでしまったよ(><) チクリチクリと気がつけば、体に何かが刺さってた(´@ω@`)

竹筒の中に松葉が入っており、これが刺さっていたのです。

杉山さんはひらめきます。
「これを応用すれば、今までにないまったく新しい鍼(はり)のスタイルを確立できるかもしれないぞ」

この不幸から導き出されたアイデアこそが、日本独自の鍼の技術、「管鍼法」(かんしんほう)と呼ばれるものです。(管を使って皮膚に鍼を刺す手法です) 日本の多くの鍼灸師がこの技術を使っています。 → 管鍼法とは何ですか?


画像は休息治療院さんから引用

管に針を通して、トントントン☆ と叩くあれです^^v

杉山和一さん
「細い菅に細い針を通したらどうだろうか?管を用いるのでツボを確実に捉えることができ、不器用な自分でも働く事ができるかもしれないよ o(^-^)o」 → 管鍼法(かんしんほう)、痛みがほとんどない理由

1680年頃、この技術などを視覚障がい者に教える為の教育施設、杉山流鍼治導引稽古所が誕生する事となりました。杉山さんが開発したこの技術のお陰で、たとえ不器用な盲人であったとしても、働く事ができるようになりました。

この杉山和一さんが好きで好きで仕方がない人物が登場します。徳川五代将軍の綱吉さんです。綱吉さんは昼夜にわたり杉山さんを側に仕えさせていたそうです。将軍は杉山さんに鍼をお願いし、持病がぐんぐん良くなるのです。

すると、綱吉さん・・・
「杉山よ、欲しいものがあったら何でもいってくれ!杉山が欲しいと思ったものは全てお主にくれてやる(ノ^-^)ノ」

すると、杉山さん・・・
とんでもないものを要求してしまいました(-_-“)

果たして、杉山さんは何を要求したのでしょうか?次のレポートに続きます。

著者 出川 雄一(ツイッター)   障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。

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