人物福祉

杉山和一!稽古所を本所一つ目に移した理由とは??

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写真は両国の地図です。杉山流鍼治導引稽古所はこの場所に移していました

世界で初めて視覚障がい者の教育施設を作った杉山和一さん。 → 杉山和一とはどんな人  杉山さんが江戸時代(1680年ごろ)に稽古所を作ったおかげで、視覚障がい者の方が鍼やマッサージで働ける環境が整ったのです。

杉山さんが凄いのは、
開発した管鍼法が現在に至っても影響を及ぼしているという点です。たとえ、目が見えなくとも、働ける仕組みが現在でも続いているのです!

そんな杉山さん。実は神社に祭られているのです。
現在の墨田区両国にある江島杉山神社です。(鍼師で唯一、神社に祭られています)

最初、糀町(こうじまち)に稽古所を構えますが、のちに何度か移動をし、本所一つ目(現在の江島杉山神社のある場所)に落ち着きました。

どうして、この場所に稽古所を構えることになったのでしょうか?

徳川五代将軍の綱吉さん。実はある持病を抱えていたのです。
どことなく、ぐあいが悪い状態が続く、ブラブラ病です。そこで、杉山和一さんに鍼を打ってもらったところ・・・

綱吉さん
「杉山よ、お主のお陰で体調が良くなったぞ(o^ー^o)」

そうなんです。杉山さんは綱吉の持病を治してあげたのです。
すっかり、杉山さんを大好きになってしまった綱吉さん。昼夜にわたり、側にいるよう命じるのです。信用を勝ち取る事ができました\(^O^)/

杉山さんが考案した管鍼法が瞬く間に広がりを見せたのも、綱吉からの信頼を勝ち取り、多くの弟子が幕府などの機関に登用されたのがきっかけだったのではないか?と考えられています。

病気が治った綱吉さん。
「どうしても杉山に褒美をあげたい。 何でもいい! 好きなものをいってくれ。お前のほしいものなら何でも与えてあげましょ~(ノ^-^)ノ」

すると、杉山さん
とんでもない物を要求してしまいました。

杉山さん
「一つだけでいいんです(>_<。。) 私は若くして盲人になってしまいました・・・ だから、失ってしまった目を一つだけ与えて欲しいんです(p>_<q)」

綱吉さん

┌|゜□゜;|┐ガーン  Σ( ̄ロ ̄ll)ガーン  il||li _| ̄|○ il||li

目を与える事はできません。
しかし、どうしても杉山の願いをかなえたい。

 



 

 

そこで、江戸に近い本所一つ目という場所(2千坪)の屋敷を与えたのです。この場所に稽古所を移し、盲人達に鍼や按摩の技術を身に付けさせたのです。

綱吉とのエピソード
杉山和一は盲人の信仰があつい江ノ島弁財天へ毎月通っていました。一方、これを快く思っていない人物がいたのです。綱吉さんです。

綱吉は杉山さんの身を案じ、また離れたくない気持ちから、江ノ島弁財天の分霊を一つ目の屋敷に移したと伝えられています。(江島杉山神社)

杉山和一1610年生まれる(幼少期に伝染病により失明)
10代後半 ~ 20代前半、山瀬琢一に弟子入り。不器用で頭が悪く、のろまだったので破門される。その後、管鍼法を考案し盲人に希望を与える。 → 管鍼法とは何ですか?

1672年(62歳)に検校になる → 検校とは何ですか?
1680年ごろに杉山流鍼治導引稽古所を立ち上げる
1685年(75歳)に綱吉の治療を行う
1693年(82歳)に一つ目の屋敷をたまわる
1694年に死去

著者 出川 雄一(ツイッター)   障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。

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