雑学

中国春秋時代!申包胥(しんほうしょ)とは?

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今日の人物から学ぼう~☆は、
申包胥(しんほうしょ)さんという人物についてです。

申包胥は紀元前6世紀頃に活躍した楚(そ)という国の政治家です。

当時、楚は隣国の呉との間で何度も争いごとが起きていました。
やがて、呉に ”孫子の兵法” で有名な孫武(そんぶ)が大将軍に抜擢されると、楚は次第に劣勢となり、楚軍20万の兵が呉軍6万の軍に敗れてしまう大波乱が起きてしまうのです。

紀元前506年に起きた柏挙(はくきょ)の戦いです。

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この結果、楚の都である郢(えい)が奪われてしまいました。この時、隣国の秦(しん)に助けを求めた人物こそが申包胥さんです。

秦は呉と友好関係を築いていたので、秦の王様は申包胥のお願いを聞こうとはせず、退去を命じるのです。

しかし、申包胥は追い出された門の前で、何度も何度もひざをつきながら、届かないお願いを繰り返していたのです。 差し出される食事だけではなく、お水も飲まない状態で訴え続けていたのです。

二日・三日・四日と数えるうちに、次第に秦の民が申包胥に同情するようになり・・・ そして、七日を数えた時・・・・

秦の王様
「このまま援軍を出さずにいたら、私は末代まで笑いものにされてしまう」として、援軍4万人と兵車500乗を送る事にしたのです。

一方、郢(えい)の地を支配した呉軍は、武力を用いて民の心を動かそうとした結果、反乱が起きていました。

「楚」と「秦」の連合軍が郢(えい)の地を取り戻そうとした時、民は楚軍を歓迎し、呉軍に抵抗したそうです。結果、6万 VS 6万 の戦いは連合軍が勝利を収め、呉は郢を明け渡す事になりました。

申包胥の忠誠心に心を動かされた秦の王様や民の人々。楚は次第に国力を回復していきました。

結論
この申包胥さんは、
民の心を動かすことによって、王様の心を動かしたのです。

世の中の大事を成すためには、権力者のココロを動かす前に、人々から支持を得なければならない! 今日は申包胥さんから学ばせていただきましたm(__)m

著者 出川 雄一(ツイッター)   障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。

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