人物福祉

知的障がい者施設の創始者!石井亮一とは?

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石井亮一さん、筆子さんのお墓へ行ってきました。(多磨霊園)

 

現在、知的障がい者の福祉施設は4000以上存在します。
石井亮一さん(1867 - 1937)は日本で初めて知的障がい者教育施設(滝乃川学園)を立ち上げた人物として知られています。

 

石井さんとはどのような人物だったのでしょうか?

 

立教大学に入学した亮一さん。
科学者になる夢を抱き、海外留学を考えて猛勉強していました・・・・ しかし、どうしても越えられない壁があったのです。

 

留学するには体格検査をパスしなければなりませんが、この検査に引っかかってしまうのです。

 

残念ながら留学の道を諦め、立教大学の創始者であるウィリアムズさんの推薦で立教女学院の先生になるのです。

 

1891年、亮一さんの人生を大きく変える出来事がありました。
岐阜県を震源とする濃尾地震が起こるのです。この地震で親を失った子供達は悪徳業者に引き取られ、中には売春させらるケースもあったそうです。

 

この話を聞いた亮一さんは激怒します。

 

石井亮一
「今すぐ現地に行き、孤児になった子供達を救わねば・・・」

 

そこで、孤児になった20人前後の女児を引き取り、私財を投じて孤児院事業を立ち上げるのです。24歳での決断でした。

 

引き取った女児の面倒をみていた職員達。
しかし、この中に変わった特徴を持った子供がいたのです。

 

そうなんです!知的に障害がある女性がいたのです。
この14歳の女性は、2+2=4 という一般的な数式が理解できていなかったのです。

 

この事実をしった石井さん!
その少女を石井さん自らが世話する事となるのです。後にその探究心からアメリカへ渡り、知的障がい者の施設などを視察する事になりました。

 

様々な知識を習得し、日本に戻る事となった石井さん!
孤児院を知的障がい者教育施設に改め、ここに日本初の知的障がい者施設、滝野川学園が開設されました。

 

(1897年開校!現在の東京都北区滝野川に立ち上げました)

 

しかし・・・

 

1920年、大きな火災が発生します。園児が火遊びをした事が原因で、施設の大半が焼けてしまったのです。また、石井さんの奥さんも園児をたすける為に、はしごをかけ登り、片足を負傷してしまうのです。

 

石井亮一さんは愕然とします。
「自分の施設で6名の園児が亡くなってしまった。資金繰りも悪く、滝野川学園を閉鎖しなければならなくなったんだ・・・」

 

しかし、この火事により、様々な人物が支援に名乗りをあげるのです。
大正天皇の皇后である貞明皇后は使者を派遣し、施設再建の為に金一封を送ったそうです。

 


石井筆子さん

 

というのも、奥さんである石井筆子さんは、華族女学校の先生をしていた時期があり、貞明皇后はその教え子にあたるのです。 生涯、師弟関係にあったと伝えられています。

 

また、渋沢栄一さんは社会的意義のある活動だと認め、滝野川学園を財団法人として存続させ、初代理事長に就任しました。 石井筆子さんと渋沢栄一さんは古くからの知り合いだった事が幸いしたようです。

 

勝海舟や藤崎藤村・津田梅子なども、滝野川学園を支援していました。

 

居場所のなかった知的障がい者の方たち!
そんな人たちに居場所を作った人物こそが石井亮一さんなのです。

 

その後、莫大な借金を残し石井亮一さんは70歳でこの世を去り、跡を継いだ筆子さんも学園の存続を心配しながら83歳で亡くなります。

 

莫大な借金をしてまで運営してきた滝野川学園。
しかし、この施設を継続させたからこそ、そのノウハウが広がりを見せ、多くの知的障がい者施設が誕生していくのです。

 

次回のレポートでは亮一さんを支えた、石井筆子さんについてレポートを書かせていただきます。

 

著者 出川 雄一(ツイッター)   障がい者の工賃を高める仕組み(福祉資本主義)を考え、実践しております。主に点字名刺・点字印刷・ハンドメイドなど。障がい者ブランド(ココリティ)の活動も行っています。

 

追記現在、滝野川学園は社会福祉法人として運営されています。
HPもありますので、ご興味があればこちらのサイトもご覧ください → 社会福祉法人滝乃川学園   参考資料 佐賀鍋島藩石井家

 

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